
安藤食品
じゅんさいの産地三種町
古くからじゅんさいの産地として知られている秋田県三種地区。じゅんさいは水面に葉を浮かべる水草の一種。 新芽はゼリー状のヌメリで覆われており、ここが世に知られている「じゅんさい」と呼ばれる食される部分です。 かつて三種地区には角助沼、惣三郎沼という2つの沼があり、じゅんさいが自生している大きな沼として有名でした。解禁日には、町民が集って箱舟に乗り、一斉に摘み始めたといいます。また、当時はじゅんさいの取引も盛んで、加工業者や一般の人が直接買い求める長蛇の列が毎年恒例の姿となっていました。現在、2つの大きな沼にじゅんさいの姿はなくなり、取引業者が並ぶこの町ならではの光景もなくなってしまいました。
じゅんさい沼を取り戻せ!
じゅんさいを町の特産に!という声は、三種町のあちこちで聞かれ、熱意を持った方々が自ら開墾をしています。安藤食品もその中の一つで、地域の文化を守り伝えていきたいと若い担い手が頑張っているじゅんさい生産者であり、じゅんさい加工業者です。じゅんさいにこだわり、三種にこだわり、秋田が大好きな安藤食品。もともとこの地で米農家として出発した安藤食品はじゅんさい加工会社を経てじゅんさい農家となりました。質の高いじゅんさい作りに取り組むために、大豆畑を開墾し、白神山水を引き込んだじゅんさい畑を作り上げ、今では三種町の中でも指折りの生産量を誇ります。
じゅんさい太郎、次郎
安藤食品を引っ張っている若い担い手が安藤賢相(あんどうけんすけ)さん。高校卒業と同時に自衛隊に入隊をし、じゅんさいとはまったく無縁の生活を送っていましたが、秋田を離れて初めて、実家の農業に関してや特産品であるじゅんさいの良さを見直し、農業の専門学校へと道を改めます。その後、家業を継ぐことを決意。大豆畑を開墾し、じゅんさい農家のスタートに携わったそうです。安藤さんの古くからの友人だった近藤さんは、家具職人の専門学校を卒業しフラフラしているところを安藤さんに誘われようやく入社。安藤さんは実に三回も近藤さんを誘いにいったと言います。初めは繁忙期だけのお手伝いだった近藤さんですが、今や賢相さんと近藤さんは安藤食品の顔。「じゅんさい太郎、とじゅんさい次郎」という名で安藤食品の知名度を上げています。
“NO JUNSAI NO LIFE”
じゅんさい太郎、じゅんさい次郎の名で知られている安藤さんと近藤さんにお話を伺いました。「じゅんさいの収穫量も売上も減っているのは確かな事実です。この事実を受け止め、この時代にじゅんさいの良さを改めて理解してもらうのが僕らの役割だと思っています。今後は、じゅんさいを海外にも輸出したいですね。夢は“じゅんさい空を飛ぶ”です!」明るく、優しくしっかりとした眼差しで、若い後継者の確かな出発の姿を目の当たりにすることができました。“NO JUNSAI NO LIFE”これが彼らの合言葉です。